
妻と別れ、淋しい生活を送る税理士ウィリアムのもとにある日、美しい女性アンナが訪ねてくる。同じフロアの精神分析医を訪ねるつもりが、ノックするドアを間違えてしまう。
そんなふとした過ちから出逢う二人。ウィリアムはアンナの口から語られる赤裸々な夫婦生活に惹きこまれていく。
最初は離婚に伴う税務相談と思い聞いていたウィリアム。
しかし、夫がDVであることや、SMチックなプレイを強要するなど、およそ税務相談とは言い難い話に言葉を失って、自分が税理士であることを言いそびれてしまう。
翌週も訪れたアンナに「実は医者じゃない」と明かすのですが、「セラピストが医者とは限りませんわ」なんて事を言って帰ってゆくアンナ。悪意はないけど罪な女とそれに振り回される可哀相な小男。
「ほれてまうやろぉ~~~っ! !」が決めキャラのチャンカワイ(Wエンジン)が浮かび、
なんともおかしかった(笑)
この二人を何かに例えるなら、雨に濡れた迷いネコを偶然見つけ、
一日だけなら面倒をみてやろうと思ったら、なんだか猫が居着いちゃって、
放すに放せなくなった・・・・そんな感じでしょうか。
気まぐれで愛らしく、それでいて弱々しくもあるネコ。勘違いから始まったのに、
僕のマンションはペット禁止なんだよ、飼えないんだよと言えなくて、そのまま居着いてほしくもなる男。
もしかして、それはすべてネコの計算だったのかもしれない。
変わらない毎日に変化を求めていた彼がおびき寄せた運命だったのかも。

手を触れる事も、好きの“す”の字も言えない(むしろ言わない)男が、彼女のDV夫に「彼女を愛している!」と宣言するのは、彼女を知り尽くしている、独占しているという自負があったからだろうね。
また、そういったことで悦に入れる人だが「秘密の扉を開けてしまえば閉じるのは難しい」などと本物の精神分析医から諭されたりする。そうして「知りすぎていた男」が「裏窓」を恐る恐る覗いた時嫉妬心から自らを晒し、意識のかさぶたが剥離していく。この辺は重苦しくて切なかった。
フラストレーションという外皮から一枚ずつ脱皮するかの如く逢瀬の度に艶めいていく
サンドリーヌ・ボネールが素晴らしい。
同監督、89年製作「仕立て屋の恋」以来20年ぶりに拝見しましたが、
イレーヌ・ジャコブやソフィー・マルソーといったフレンチ正統派美人の造形的な美しさではなく、
存在そのものの美しさと強さを光らせることができるその「佇まい」の美しい女優さんですね。
二人がより親密さを増す、ラストの俯瞰ショットも決まりすぎというほどカッコイイ。
終わらないお伽噺といったところ。
含蓄あるセリフが人生の奥深さ、楽しさ、悲しさを物語ってくれる。

見始めはコミカルでサスペンス的な「究極の焦らしプレイ」だと思っていたらとんでもない。
しょうもない邦題を差っぴいても余りある、
渋めで珍しくエロシーンのない極上のフレンチでした。



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